表現の自由のない世界は幸せもない世界 京都アニメーション放火事件を語る

京都アニメーション放火事件で亡くなられた35人の方々のご冥福をお祈りすると同時に、
今なおけがで苦しまれているたくさんの方々のご回復をお祈りします。

こんにちは。人生導師やっちです。
今回は京都アニメーション放火事件について語ります。

京都アニメーション放火事件の犯人が、どのような理由動機でこのような事件を起こしたのかは分かりませんが、
私はこの事件を聞いて『表現の危機』を感じました。
表現の自由に対する重大な暴力圧力であり、表現の自由の危機であると感じたのです。

言うまでもなく、表現の自由はとても大事なものです。
民主主義は言論の自由と表現の自由に立脚するものです。
それなくして民主主義は成り立ちません。
表現の自由の問題はただそれだけではありません。
そんな政治的な意味よりもはるか以前の問題として、
私たちの幸せは表現の自由の上に成り立っているのが現実です。
幸せとは自己実現ですが、
自己実現とは自己表現であるわけです。
自らを自由に表現する。
そんな自己表現の先に、自己実現があり、その自己実現の先に幸せがあります。
表現の自由がない世界というのは、幸せもない世界なのです。

表現とは、人の心にさざ波を立たせるものです。
人の心に大なり小なりな影響を与えるものが表現というものです。
そんなさざ波を受けて、反発が起こるのも人間心理の常であり、
それは人間として当たり前な反応でもあります。
しかし、だからといって暴力的に表現を圧殺するのが正しいわけはありません。
お互いに表現を認め合ってこそ、
豊かな価値観が作られ、
そんな豊かな価値観に満ちた社会は、困難に打たれ強く、私たちが幸せを感じられる社会になるのだと思うのです。

日本は民主主義国家であり、日本国憲法でも表現の自由は認められているところですが、日本では国家権力よりも社会や世間、他人の目といったものが権力を持ちがちな社会でもあります。
そんな世間の目を怖れて、人は「自粛」という形で表現を取り下げたりします。
そのような形で、事実上の弾圧が行われ、表現の自由は奪われがちであるのも現実と言えるでしょう。
しかし、表現こそが幸福の根幹でもあるのです。
表現の自由をお互いに尊重できる人間社会は、きっと豊かで幸せになるでしょう。

京都アニメーション放火事件をきっかけに、日本の表現の自由が後退し、誰もが表現に対して委縮するような社会になってほしくないと願っています。
アニメはもとより、小説、漫画、映画、演劇、ドラマなどにおいて、自由な表現が盛り上がっていってほしいと願います。
そんな豊かな表現活動が、豊かな日本社会を作ることは間違いありません。
表現の自由を守っていく。
私もまた、微力ながら、貢献していけたらと願っています。

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