戦争をなくすのではなく戦争を減らすと考える 8月6日広島原爆の日に戦争と核兵器廃絶を考える

みなさんこんにちは。人生導師やっちです。
8月6日は広島原爆の日です。
74年前の8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。
人類最初の核攻撃の日です。

私は戦争をなくすことはできなくても、戦争を減らすことはできると考えています。
戦争を起きにくくし、仮に起きてしまったとしてもその戦争の被害を小さくすることは可能だと考えています。
徐々に徐々に戦争を減らしていって、起きにくくして被害を小さくしていって、最後にはゼロに近づいていけばいいのではないかと私は考えてきました。
戦争は一気にゼロにしようとしてもできないのが現実で、そこに無理があるのだと私はいつも考えています。

核兵器(原子爆弾)の使用は、いうまでもなく『虐殺』です。
一般市民がたいへんな火傷を負い、苦しみもがいて死んでいく。
それを虐殺と言わずして何を虐殺と言うでしょうか。
核兵器の使用は虐殺でありジェノサイドです。
敗戦国日本はなかなかそうは言いづらい空気があるのが現実ですが、
核兵器の実態とは、単なる虐殺でしかありません。
そんな核兵器の使用は禁止されて、核兵器は廃絶されて当然です。

けれども、そうはいっても、私たち日本は、日米安保条約を通して、アメリカの核の傘に守られているのも現実です。
日本自体は核を保有してはいませんが、アメリカの核を通して守ってもらっている時点で、事実上の核保有国と言っても過言ではないように思います。
ここにジレンマが生じます。
核廃絶と核保有のジレンマです。
ここに終わりのない葛藤が生じているのが、今の偽らざる人類の姿でしょう。

結論を言えば、今の今、2019年8月6日の時点では、日本は核の傘に守られるのもやむをえないと言わざるをえないのかもしれません。
けれども、そのやむをえなさはどこかで超えなければならないものです。
私たちは道のりの遠さに絶望することなく、核兵器の廃絶を目指して努力していく必要があります。

道のりの遠さに絶望しない勇気が必要です。
やむをえなさを超える。
そのためには、勇気が必要なのです。
核廃絶は私たちが生きている間は難しいかもしれません。
100年後、200年後、あるいは千年後なのかもしれません。
そんな遠い道のりであっても、絶望せず、私たちは努力し続ける必要があるように思います。そんな努力の果てに、後世の人類は、核兵器を廃絶し、戦争が起こりにくい世界を作っているかもしれません。それを信じて、私たちは終わりのない努力を、それはつらいものですが、払っていく必要があるのです。

私自身も、そんな道のりの遠さに絶望せず、核廃絶を支持して、歩んでいきたいと思います。

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