夢を持つ勇気 今の私たちには「夢を持つ勇気」が求められている

昨晩、宮崎駿監督作品『天空の城ラピュタ』がテレビで放送されました。
天空の城ラピュタを再び見て思ったことは「夢を持つ勇気」です。
そのことについて語りたいと思います。

天空の城ラピュタが公開されたのは1986年です。
当時私は小学生で、8歳でした。
当時もテレビでラピュタを見て大変に感動しましたし、昨日もラピュタを見て大変に感動しました。
今から33年前、1986年当時というのは、夢を持つことは当たり前で、勇気が必要なことではありませんでした。
日本は当時はバブル経済というような時代だったでしょうか。
日本も世界もこれからもまだまだ伸びると思われていました。
これからもどんどん発展し、未来はバラ色であると思われていました。
一方で、本当にそうなの? このまま発展を続ければ私たちは幸せになれるの? という思いが人々にはあったのも事実で、そんな時代背景の中で、ラピュタは生まれたのだと思います。物語の中では、ラピュタは高度な科学文明を持ちながらも滅んでいるわけですが、それは当時の人々の怖れでもあったと思います。

それから33年。
今の日本では、夢を持つことは難しくなりました
夢を持つことが否定されるような、夢は捨てろと言われるような、そんな時代になったように思います。
現代日本社会はすっかり行き詰ってしまって、未来に光を見出すことは難しくなりました。
年金問題、超高齢化超少子化、孤独死無縁社会、そんな単語の中で、未来は真っ暗と誰もがおもうような時代になりました。
そんな中で、私たちは残された資源を必死に奪い合って、やっとつかまえた小さな果実を必死になって守って生きるしかないような、そんな時代になったように思います。
まったく未来に光を見出すことができず、希望が見えない社会。
そんな社会で少なくない子どもたちが絶望して自死に追い込まれたりしているのが現実ではないかと思うのです。

今の私たちに必要なのは、夢を持つ勇気だと思うのです。
夢を持つことに、現代日本社会では勇気が必要になりました。
それはまったくもって事実だと思います。

夢はあきらめなくていい。
人生はあきらめなくていい。

今の私たちは現代日本社会に絶望し、自分自身を滅ぼそうとしています。
自死までいかなくても、必死に自分を押し殺して、仮面をかぶって、そして自分ではない自分を装って生きているように思います。すっかり夢は捨て去られて、自己は否定されて、そして人々は苦しんでいます。
私はそんな現代日本社会の価値観こそ壊したいと思うのです。
人生は苦しむのが当たり前。
ただどうにもならない現代日本社会で、自己を抑圧して、ただ苦しんで生きるしかない。
それでいいのかと私は思うのです。

今の日本で、再び「天空の城ラピュタ」のような物語を作ることは難しいと思います。
誰もが夢を持つことができなくなった社会で、
「ラピュタを探しに行こう。ラピュタには財宝が眠っている。そんな財宝を探しに行こう」
そんなテーマは、とても馬鹿らしくて、見るに堪えないものになってしまったのではないかと思います。
しかし、私は、それでも夢を見たいと思うのです。
ラピュタを探しに行きたいと思うのです。
それは結果として良いものではないかもしれません。
バルスと唱えて破壊するしかないものかもしれません。
しかし、見つけることに意義があるのです。
努力することに意義があるのです。
その努力の過程で、私たちは成長します。
結果は崩壊だったとしても、私たちは確実に成長します。
その成長で、私たちは幸せを実感することになるでしょう。

パズーとシータはグライダーに乗って飛んでいき、それ以後のことは何も語られていません。
二人はパズーあるいはシータの家に戻って、幸せに生きていったんだろうと思います。
冒険したことが二人を成長させた。
そんな成長があればこそ、二人は力強く生きていけるでしょう。
もともと力強い二人ではありますが、
今回の冒険がさらに二人を成長させて、力強い大人にさせたと私は信じています。