生きる意味を問い続ける 生きる意味が分からない苦しみについて考える

私たちは生きる意味を問い続ける存在です。
生きる意味が分からなくて私たちは苦しみます。
生きる意味とは何か。自分がこの世に生まれてきた理由は何か。
自分の存在理由とその使命について私たちは問い続ける存在です。
生きる意味が分からないとき、私たちは苦しみます。
そして、あるいは自殺したいと考えたりもするかもしれません。

生きる意味は人生が順調に進んでいるときは誰も考えないものです。
人生が順調にいかなくなったとき、逆境にあえいでいるとき、
途端に人間は生きる意味を問い出します。
生きる意味が分からなくなるのです。
そして、人は迷い、茫漠たる荒野に投げ出され、
ただただ自分の運命を呪う存在になってしまいます。

人生の意味に限らず、私たちは意味や理由を問う存在です。
どんなことであっても、意味が分からないということは私たちを苦しめます。
意味や理由が分からないという状態は苦痛なものです。
人間とは、そんなふうにつねにハラオチを求める存在でもあります。

そんなことを漠然と考えていたときに、
仏教式の葬式や法要で唱えるお経のことを私は思い出しました。
思えば、お経の意味は分からないものですが、それでもお経を聞いているとどことなく心地よかったりします。
意味は分からなかったとしても、和尚さんの読経にあわせて自分も声をだして読経しているとなんとなく心地よくなったりしてきます。
思えばそんな例は多岐にわたるでしょう。
芸術作品はすべてそういうところがあるかもしれません。
抽象芸術は一目見て何を言いたいのか何を表現しているのか分からなかったりしますが、
それはそれで見ていて心地よかったりするものです。

もし生きる意味が分かれば、それはそれで素晴らしいことです。
それをつまり『悟り』と言うのかもしれません。
それはそれとして、仮に生きる意味が分からなかったとしても、
毎日を一生懸命に生き続けることで、
心地よくなっていくことはあるのではないかと思うのです。
それもまた幸せであり、一種の悟りではないかと思うのです。

私たちは生きる意味を問い続ける存在です。
生きる意味を問うことは素晴らしいことです。
それは私たちが人間である証でもあります。
生きる意味や自分の使命を問い続けることは尊いことです。
そして、私たちは自分なりに生きる意味や自分が生まれてきた理由に結論を出していきます。
自分の使命に目覚めて、今日を生きていくことになります。
それはとても重要なことです。
生きる意味は他の人が感心したりしなくてもよくて、自分がハラオチすることが一番大切です。
それが人それぞれの悟りになるのです。

仮に生きる意味が分からなかったとしても、それでももがきつづける。
毎日を一生懸命に生き続ける。もがきつづける。
そんな中で、私たちは幸せに至ることができるでしょう。
そんなとき、私たちは悟りに至るのではないでしょうか。
それもまた、一つの悟りであり、生きる意味を見出したということなのかもしれません。

今日を諦めずに生きていく。
自分の生きる意味を探していきていく。
生きる意味を問うことは、ともすれば馬鹿らしく見えるかもしれません。
なかなか結論が出ないことを探求し続けることは馬鹿らしく見えるものです。
しかし、それが人が生きるということであって、
そんなふうに人間が生きる意味を問う姿は尊いものです。

今日を一生懸命に生きていきましょう。
ただ生きる。それだけでいいのです。