なぜ生きるのか

私たちはなぜ生きるのでしょうか。
人生とは皮肉なもので、人生がうまくいっているときは誰もそんなことは考えないものです。
しかし、人生がうまくいかなくなると、途端に生きる意味が分からなくなり、
「なぜ生きるのか」
と考えてしまうのが人間です。
そして、生きる意味がないと哀しみ、
自殺しようとか、安楽死したいとか
考えてしまうのが人間の現実です。

では、私たちはなぜ生きるのでしょうか。

ファンタジーのライトノベルで、よく異世界に放り込まれて冒険するストーリーがあります。
日常世界を生きる少年少女が突如としてファンタジーな異世界に放り込まれて冒険する。
そんなストーリーはよくありますが、
私たちの人生もまたそんなところがあります。
突然この世に生まれて、訳も分からずこの世に生まれて、訳も分からずにただひたすらに生きる。
それは異世界に放り込まれた主人公のようなものでしょう。
私たちは望んで生まれたかどうかは分かりません。
前世の記憶はないのが普通です。
どうして生まれたかもわからない。
そして生きなければならない。
それが私たちが生きる理由が分からなくなる最大のポイントであるかもしれません。

ここで留意したいのは、

私たちは幸せになるために生きる

ということです。それは言いかえれば、
生きるために生きる
ということでもあるでしょう。

私たちは往々にして、
死ぬために生きていたり、
不幸になるために生きていたり、
するものです。
例えば過労死や過労自殺の問題。
私たちは生きるために仕事をしているのであって、
死ぬために仕事をしているはずではないものですが、
私たちは往々にして仕事で命を落とします。
命を落とさなくても、病気になって辞めることになったりします。
生きるために仕事をするはずなのに、健康的に生きるために仕事をするはずなのに、
私たちはまったく逆のことをしているのが現実です。
そして、私たちは不幸にならざるをえないと思ったりしている。
人生が幸せになれるはずがない、楽しいことがあるはずがない。
楽しい仕事があるか、と私たちは仕事を罵るわけですが、
そうやって私たちは不幸になるしかないと思い込んでいる。
もちろん人生とは苦しみであるかもしれませんが、
苦しみから脱することができずにただ苦しむしかないと思い込むのも
問題であるかもしれません。
そして、私たちは幸せのために生きているということを忘れてしまうのです。
それは現代日本社会では特に強い傾向であるかもしれません。

私たちは幸せになるためにいきている。
生まれたからには幸せになろう。
そして満足して死んでいこう。
それは当たり前のことであろうと思いますが、
私たちは往々にして忘れてしまいます。
そして、死にたい、自殺したいと
思っているのが現実だと思われます。

ふっと喜べる。
わっはっはと笑えなくても、
ふっと笑える。
そんな小さな喜びが大事だと思うのです。
私たちは往々にして、笑わねばならない、笑って過ごさねばならないと思いがちです。
そしてさらに苦しくなっているのが現実でもあろうかと思いますが、
私たちは自然に笑うことができます。
今はそんな気持ちになれなかったとしても、
いつか自然に笑うことができるような自分になれたらいいですね。
自然と笑える。
ふっと笑える。
それだけで私たちは今日を生きる意味を感じることができると思うのです。

私たちは幸せになるために生きている。
生まれたからには幸せになろう。
そして満足して死を迎えよう。
そんな人生の積み重ねが、私たちをより良い来世へといざなっていくように考えています。