庶民感覚を庶民であっても忘れない

昨日、安倍首相が辞任を表明した。
午後2時頃、テレビで安倍首相辞任が報じられて、
それ以降、全チャンネルで安倍首相辞任がニュースとして流れていた。
午後5時からは安倍首相の記者会見が行われて、
記者からの質問に真正面から答えている姿が印象的だった。
安倍首相の万感の思いが感じられた。

総理大臣になる人間の資質を問われて、
チーム力と答えていたのが印象的だった。
「総理大臣はひとりでできるものではありません」
という安倍首相の言葉は重くこころに響いた。
それは、本当に、何事もそうだと思う。
スタッフや閣僚とのチーム力、そんな資質は、
安倍首相が長く痛感してきたことなのだと思う。
それは、今の私たちにも通じることだと感じる。

政治家の資質として、庶民感覚が大事なのだろうと感じる。
安倍首相や今の政治家の庶民感覚についてはここでは脇に置くとして、
人々ひとりひとりの暮らしや生きているありようを理解していなければ、
人々の幸せの実現を考えることは難しいだろう。
リーダーになればさまざまな権力と富が集積して、
最初は庶民で生きていたとしても、
徐々に庶民からは離れていくことが容易に想像されるが、
それでも庶民の感覚で生きていくことが大事なのだろうと思う。
また、はじめから庶民で生まれなかったとしても、
庶民の感覚で生きることがやはり大事なのだろうと思う。

総理大臣の生活がある程度豪華であることはかまわないと考えている。
一国の総理大臣がパイプ椅子で会議でもないのではないかと思うし、
閣議のときの椅子や部屋は相応に豪華な感じであるが、あれはああいうものなのだろうと思う。
重要なのは、こころが庶民感覚であるかということである。
実際の生活が多少豪華であったとしても、
それは総理大臣としての雰囲気を保つためであって、
こころは庶民の感覚でつねにいる必要があるのだろうと思う。
それはどんなリーダーであっても言えることなのだろう。

そして、さらに思うのは、庶民で生きる私たち自身が庶民の感覚を忘れないということである。
裕福な生活をしているように見えて実は借金まみれということは、人間よくあることかもしれない。
庶民であるはずなのに、いつしか庶民である感覚を忘れてしまう。
そんなことに注意しなければならないと思う。
質素な生活でありたいと私自身、思う。
もちろん私自身も過去も今も庶民であり、これからも庶民であると思うけれども、
庶民の感覚を忘れず、いつまでも庶民の感覚でありつづけたいと思う。

ちょっとしたことから徐々に支出は増えていき、それが当たり前になっていくのが常である。
いつしか収入を超過していき、しかも、それもまた当たり前になっていく。
そんな感覚の麻痺に私たちは気を付けなければならない。
お金以外にも、例えば家族や子ども、後輩、部下、または立場の弱い誰かに大きな態度で当たったり、
いつしか権力的な姿勢で生きているということもあるかもしれない。
そんな権力は実はどこにもないし、あっていいものでもないはずである。
庶民でありながらも、いつしか独裁者のようになってしまう。
そんな感覚の麻痺に気を付けなければならない。

庶民の感覚を忘れず、これからも庶民の感覚でありつづける。
意外と難しいことかもしれない。
私自身、つねに自戒して生きていきたいと思う。

◆今日の写真
綿のような雲が広がっている。
昨日おとといと暑かったので、雲がありがたい。
それでも今日もまた暑くなりそうなので、注意していきたい。

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