子どもたちの自殺を防ぐために大人たちにできること 夏休み最終日・夏休み明けに向けて

夏休み明けはもっとも子どもたちの自殺が増えるときです。
もうすぐで夏休み最終日・夏休み明けを迎えるこの局面において、私たち大人はどのような気持ちで子どもたちに接したらよいのでしょうか。

究極的には、子どもに対して本気を見せることだと思います。
「一肌脱ぐ」ということだと思います。
そんな本気は子どもに必ず伝わり、子どもの生きるパワーになると確信します。

例えば学校に行きたくないと自分の子どもが言ったとします。
そんなときに、例えば

「一緒に会社を始めようか」

と言えたらどうでしょうか。
「一緒にお店を始めようか」
でもいいです。
もう学校に行かなくてもいい、自分が仕事を辞めて会社を始めるからそこで働いたらどうか、と言えたらどうでしょうか。

そこまで言えないとするならば、
例えば一か月くらい一緒に旅をしようかと言ってみたらどうでしょうか。
学校には行かなくてもいい、自分も会社を休むから、一緒に一か月くらい放浪の旅をしようかと言えたらどうでしょうか。

きっと子どもは感動すると思います。
そんなふうに言ってくれた親や大人たちを信頼するのではないでしょうか。
子どもの人生は確実に変わると思います。
その本気に接して、生きるということを学ぶのです。
そして、生きるパワーをつかむのです。
そんなふうな本気に接し、生きるということを学んだ子どもたちは、きっとどんな困難でも超えていけるでしょう。
仮に一か月放浪の旅に出たとして、
その後今までどおり学校に戻ることは難しいかもしれません。
もちろんそれ(学校に再び通うこと)を目的として旅に出るのでもありません。
いい学校に入っていい会社に入ってというような、
現代日本社会のありきたりな出世レールからは外れるかもしれませんが、
子どもたちは自らの道を開拓して力強く生きていけると確信します。

重要なのは子どもに対して大人が何かをするということです。
例えば一日でもいいんです。
大人も会社を休んでみる。
そして、どこかに行ってみる。
例えば夏休み明けの一日だけでもいいんです。
子どもを休ませ、自分も休んで、一日放浪の旅に出てみる。
それだけで、子どもは、大人を信頼し、そこから生きるということを学ぶのではないかと思うのです。
重要なのは子どもの魂を救うことです。
自分のために大人が何かをしてくれた。
それだけで、子どもは自分が愛されていると感じ、それだけで、生きるパワーが得られるのだと思うのです。

一緒に会社を始めるとか店を始めるというアイディアは荒唐無稽に思われるかもしれません。
仮にそうはできなかったとしても、
とにかく
「一緒に生きる」
という姿勢が大事なのです。
一緒に生きようという姿勢が子どもの孤独な魂を救い、子どもに生きる力を与えるののです。
今まで通り従来の価値観で学校に行くことはできないかもしれませんし、現代日本社会の価値観に沿った生き方はもはやできないかもしれませんが、それでも子どもは自らの力で人生を拓いて生きていくと信じます。

ひとりでも多くの子どもたちの魂が救われることを祈って。
いろいろな生き方ができる。
そんな現代日本社会になるように私も努力していきます。

最後まで見捨てない心が子どもを救う 夏休み最終日・夏休み明けに向けて

 

夏休み明けが近づいてきました。
何度も話していますが、夏休み最終日と夏休み明けは子どもたちの自殺がもっとも増える瞬間です。
私たち大人は子どもたちをどう見守っていけばよいのでしょうか。

そのカギになるのは、
「最後まで見捨てない心」
ではないかと思うのです。
子どもを最後まで見捨てない心。
そんな心を子どもたちは感じ取り、安心して、子どもたちは心の危機を乗り越えていくのだと思うのです。

私の友人に子どもの世話をするのが得意な人がいます。
彼のところには、いろいろな経緯で子どもや動物がやってきて、彼が子どもたち動物たちの世話をすることになります。
すべて彼の子どもやペットではないのですが、いろいろな事情で彼が世話をすることになるんですね。
いつも私が驚くのは、そんな彼が世話をすると、子どもたち動物たちがよく育つということなのです。
子どもたちはよく育って、立派な大人へと成長していきます。
動物たちも成長していきます。
なぜ子どもたち動物たちが前向きに育っていくのかといったときに、
彼には「見捨てない心」があるからだと思うのです。
いつも子どもたちに一生懸命に接する姿には、見捨てない心が感じられます。
彼自身、一生懸命であるがゆえに疲弊している場面があることも事実です。
どうして自分の子どもやペットでもないのに、と思うこともあったかもしれません。
それでも、彼には見捨てない心があるんですね。
だから、最後まで世話を貫徹するのです。

そんな心を一番感じているのは何より子どもたちなのでしょう。
だからいろいろな事情で実の親や親しい家族から少し離れた形になったとしても、立派に成長していくのだと思います。

彼がその世話で一番苦戦していたのは、実はとある犬です。
とある小型犬がいたのですが、その世話に一番苦戦していました。
それでも、その犬も天寿を全うして最期は大往生を遂げました。
最後の最後まで彼は見捨てることなく、その犬を面倒見切ったのです。
苦戦していたのが人間ではないというのは驚きかもしれませんが、
子どもたちは誰が自分を愛してくれて誰が愛してくれていないのか、
よく分かっているのだと思います。
だから、彼にはよくなついていましたし、安心して成長していくのだと思います。

最後まで見捨てない心。
そんな大人の気持ちが、子どもを救います。
最後まで見捨てない心とは何ですかと言われれば、それは子どもに一生懸命に接するということだと思います。
例えば何でもない遊びでも、例えばテレビゲームでも、一生懸命に子供と真剣に遊ぶということです。
そんな真剣な姿勢が子どもの共感を呼び、子どもは安心するのだと思うのです。
そんな一生懸命な姿勢に子どもは共感し、自分を愛してくれる大人がいるということに安心し、子どもは成長していくのだと思うのです。
それは実の親でなければできないということではありません。
もちろん実の親がそうであれば子どもは一番うれしいかもしれませんが、実の親ではない大人であったとしても、真剣に自分に接してくれる大人がいれば、それだけで子どもは安心し、成長していくのです。

そんなことをとある友人の姿勢から教わったように思います。

これから夏休み最終日、夏休み明けに向けて、子どもたちの心は危機を迎えます。
ぜひ子どもたちを注意深く見守ってください。
予兆はないかもしれませんが、予兆に気が付こうと気を配ることが一番大事です。
最後まで見捨てない心、すなわち一生懸命に接する心が子どもたちの心を救います。

問題は弱いところに現れる 子どもたちの問題は大人たちの問題の反映 幸せな子どもの環境を作るために

夏休み最終日が近づいてきました。
9月1日問題とも言われていますが、夏休み最終日と夏休み明けはもっとも子どもたちの自殺が増えるときです。
不登校やいじめなど、子どもたちを取り巻く社会環境では問題が絶えず、子どもたちはつねに危機にさらされています。
「問題は最も弱いところに現れる」
という視点から、子どもたちの問題を考えます。

なぜ子どもたちのいじめの問題が起こるかといえば、
つまるところ、大人が子どもに当たるからとも言えると思います。
現代日本社会の中で、大人たちは苦しんでいます。
そして、そんな苦しみの果てに、そのつらさ哀しさから、子どもについついきつく言ったりすることは起こりうると思います。
どんなに子どもを愛する親でも厳しく言うことはあるでしょうし、そうではない家庭であれば、もっと子どもに辛く当たることもあるだろうと思います。
そんな大人のゆがみやひずみの中で、子どもたちは苦しみます。
そんな苦しみの中で、子どもたちはさらに弱い子どもに当たります
弱いところへ弱いところへと玉突きのように下っていき、どこにも当たるところがなくなった子どもは、もしかしたら自殺したりするのかもしれません。
いじめの構図とはこのようなものだと私は考えます。
大人の歪みの中で、さらに弱いところへと下っていった結果、子どもに行き、子どもはさらに弱い子どもに行き、最終的には不登校や自殺といった問題にたどり着くのではないかと私は想像するのです。

子どもたちの問題は大人たちの問題の反映でもあるのです。
子どもは大人の鏡なのです。
もし大人たちが幸せで満ち満ちて生きることができれば、それは必ず子どもに伝わります。
もし大人たちが協力しあって仲良く生きていることができれば、それは必ず子どもに伝わって、子どもたちもまた協力しあって仲良く生きていくことができるでしょう。
そんな社会が実現すれば、いじめや自殺といった問題は自然に消滅していくのだと思うのです。

現代日本社会の狭い価値観には、たくさんの問題が渦巻いています。
狭い価値観の中で大人たちは苦しみ、そんな大人になろうとして子どもも苦しみます。
そんな価値観を正しいと思い込んだ私たちは、子どもにもそうするように強制します。
例えば「学校にいかなければならない」というのはひとつの価値観でしょう。
私が子どもの頃からほとんど変わっていない学校。
そんな問題多き学校を当たり前に卒業した私たちは、それを疑問に思うことなく、何も変えることなく、子どもたちに通うように強制します。そんな中で、不登校やいじめ、9月1日問題は起きているように思われます。

子どもに「それでも強く生きなさい」と言ったところでどうしようもないことは明らかです。
大人に対してすらも、「それでも強く生きなさい」と言われて、なんとかできる大人がいるのでしょうか。
子どもが快適に幸せに生きられるような環境を整備するのは大人の役目です。
大人同士の生き方を子どもたちは見ています。
大人がゆがめば、子どもの生き方もゆがみます。
そんな中で大人が子どもに当たれば、子どもはもっと弱い子どもに当たります。
そういう構造があるのだと思います。

私たち大人が現代日本社会を改善し、自らを律してお互いに協力して生きていく。
そんな大人たちの背中を見て、子どもたちは何も言われなくても自ら学んで生きていくでしょう。

「生きていてよかった」自傷行為に接して最初に思う言葉 苦しみが理解されるだけで人は救われる

みなさんこんにちは。
お元気されていますでしょうか。

「生きていてよかった」
自傷行為に接して思うことはただその一言です。
具体的な解決がなかったとしても、心が理解される、苦しみが理解される、ただそれだけで人は救われるのだと思います。
特段の問題の解決がないとしても、その苦しんでいる心が分かってもらえる、ただそれだけで人は明日を生きるパワーが湧いてくるのではないかと思うのです。
ただそう言えばいいというものではありません。
言葉だけで気持ちがなければ、そんな気持ちの無さは伝わり、相手をさらに孤独にさせるでしょう。
重要なのは心です。
「生きていてよかった」
と真剣に思うことは、うまい言葉をかけられなかったとしても、相手に伝わるのではないかと思います。

夏休み最終日と夏休み明け初日は、子どもの自殺がもっとも増えるときでもあります。
その背景には、はるかに多くの自傷行為や自殺未遂をした子どもたちがいるのだと思います。
もしかしたら、自分の子どもがそんな自傷行為を起こす、そんな場面に遭遇しないとも限りません。

そんなとき、
「生きていてよかった」
と心から思うこと、そして抱き締めること、
そんな気持ちが子どもを救うのではないかと思うのです。

もちろん、何が「生きていてよかった」だ、生きていてちっともよくはないやい、と反発されるかもしれません。
そんなふうに思うことは自然なことだと思います。
重要なのは苦しみを理解することであり、苦しみを理解しようとする心だと思います。
私たちは他人の苦しみを完全に理解することはできないかもしれませんが、それでも理解しようと思うことはできます。
ただひたすらにその人の苦しみを、その子どもの苦しみを理解しようとする。
それが「寄り添う」ということでもあると思います。
具体的な何かが変わらなかったとしても、ただ苦しみを理解してもらえる、それだけで、人は今日を生きることができるように思います。
子どもの最後のよりどころは家庭であり両親です。
完全に子どもの気持ちを理解することが難しいとしても、私たちは理解しようと努力することはできます。
そんな気持ちが出発点になるだろうと思います。

これから子どもたちは危機を迎えます。
本当は学校というものがそんな危機を与えるものであるということそのものがおかしいことであるのです。
しかし、すぐに現代日本社会の何かを変えることは難しいでしょう。
「生きていてよかった」
「あなたが生きていてよかった」
「あなたが生まれてよかった」
ひとりでも多くの子どもたちが救われることを心から祈ります。

少子化問題は誰のため? 私たち先に生きる者は、後に生きる子どもたちに対して責任がある

こんにちは。お元気されていますでしょうか。
超高齢少子化社会と言われて久しいですが、さて、少子化問題はいったい誰のためなのでしょうか?

私が感じるに、少子化問題は、高齢者や大人たちのために語られているような気がしてなりません。
少子化問題は、本当は子どもたちのために語られなければならないはずです。
今を生きる若者や子どもたち、そしてこれから生まれてくる子どもたちが幸せに生きられるように、満ち満ちて快適に幸福に生きられるように今を生きる私たち、大人たち高齢者たちがいったい何ができるのか。
そんな視点で少子化問題は語られるべきはずなのに、現代日本社会では、少子化問題というと、どちらかというと、子どもがいなくなることによって、高齢者や大人たち、社会を支える担い手がいなくなるというような、なんというか子どもたちが「手段」というか、さらに突き詰めて言えば「道具」のように言われているような気がしてなりません。
例えば年金問題など分かりやすいですが、子ども一人が高齢者〇人を支えるというような議論は、自分たちを養ってくれる人がいなくなるという危機感が感じられ、そういう視点というのは、少子化問題の視点として適切なのだろうかと思うのです。

先に生きる者は、後に生きる者に対して責任があります。
大人たち高齢者たち先に生きる者は、後に生きる若者や子どもたち、これから生まれてくる子どもたちに対して責任があります。
これから生まれてくる子どもたちが幸せに生きられるようにするためにはどうしたらよいのか、私たちは努力しなければなりません。
ところが、その順番が逆になっている。
自分たちを支えてくれる子どもたちをどうやったら増やせるかというような議論になっている。
そんなことは実はみんな気が付いていて、
気が付いているからこそ、子どもを産みたくなくなってしまっている、
そんな風潮があるようにも私には感じられます。
これから生まれてくる子どもたちが不幸になると思えば、誰だって子どもを産もうとする気持ちにはならないと思うのです。

もし私たちが今を生きる若者や子どもたち、これからの子どもたちを真剣に考えるとすれば、
待機児童や子どもたちの自殺、不登校といった問題が変わってくるように思います。
どれも何十年と語られていて、一向に解決しない問題ばかりですが、
そういった問題が変わってくるように思います。

今を生きる私たちは、後を生きる子どもたちに対して責任がある。
そして、子どもたちを立てる形で、子どもたちファーストで社会のあり方を考えたときに、日本は復活するように思います。