努力することは無駄なのか 失敗した努力の価値とは? 釈迦の努力の失敗例に学ぶ

努力は無駄なのでしょうか。
私たちは往々にして「努力しても無駄である」と言いがちです。
そして、努力することを諦めてしまいがちですが、
果たして努力とは無駄なのでしょうか。

ここで思い出すのは釈迦の例です。
仏教の開祖である釈迦もまた努力が実らず、失敗した経験があります。

釈迦は悟りを求めて、苦行生活を始めます。
5人の仲間たちも集い、断食をはじめとした苦行の修行に打ち込みます。
そして6年間苦行修行をしますが、悟りを開くことはできません。
ついに感極まった釈迦は、村娘スジャータから乳粥をもらい、こんな苦行修行では悟りは開くことはできないと決断し、苦行修行を断念します。
そんな釈迦を見た5人の仲間たちは、「あいつは堕落した」と釈迦を見限り、釈迦の下を去っていきます。
釈迦の苦行修行は大失敗に終わります。
当初釈迦は苦行修行で悟りに至ることができると思ったと思いますが、6年の後についに悟りに至ることはできず、努力は実らなかったことになります。これはまさに大失敗だったでしょう。

しかし、釈迦はその後、瞑想生活に入り、さまざまな誘惑に打ち勝ち、ついに菩提樹の下で悟りに至ります。
釈迦は最終的にその目的であった悟りを開くことに成功します。
この悟りに至るまでには、6年間の苦行修行とその失敗がありました。
そんな失敗があったからこそ、釈迦を成長させて、真の悟りへと導いたと考えるのは不遜でしょうか。

失敗は人を成長させます。
確かに努力は実るとはかぎりません。
現実問題として、努力は実らない場合が多いかもしれません。
その度に私たちは絶望にうちひしがれるわけですが、しかし、努力は確実に私たちを成長させます。
努力は実りを結ばないかもしれませんが、しかし私たちは成長します。
そんな成長が、いつかは成功へと導いていくものです。
仮に成功しなかったとしても、私たちは確実に成長し、そんな成長は私たちの喜びになり、自信となります。
そして、これからの人生をいきいきと生きていくことができるでしょう。

人生に近道はありません。

確かに釈迦の苦行修行は失敗しました。
では、始めから苦行生活などしなければよかったのかと言うと、難しいところです。
おそらくその苦行なくして始めから菩提樹の下で瞑想生活をしたとしても、悟りは難しかったかもしれません。
もっとも、釈迦は苦行生活では悟りは開けないと理解したわけで、私たちが同じように苦行生活をしようとすれば釈迦は止めるかもしれません。
いずれにせよ、人生に近道はないのです。
努力は失敗するかもしれません。
しかし、その失敗の果てに未来があることもまた事実なのです。

努力は努力そのものに価値がある。
努力は努力することに意味があるのです。

一緒に努力していきましょう。
そして自らの成長を喜び、次の努力に打ち込んでいきましょう。
いつか必ず未来は見えてきます。