どうでもいいことこそ諦めたいものである

「諦める」とは人間にとってもっとも難しい決断のひとつであるだろう。
よくネバーギブアップと言ったりするが、
一方で「あきらめが肝心」とも言ったりもする。
私たちはいったいどう考えたらよいのだろうか。

言うまでもなく生きることはあきらめたくないものである。
私たちは生きたいと願う存在であり、
これからも生きてゆきたいというのが私たちの究極の願いでもあるだろう。
生きることをあきらめないために、
生きる上で生じる何かについて私たちはあきらめるということになるのではないだろうか。

思えば私たちはたくさんのことにとらわれ、悩んで生きている。
誰もが悩み苦しんでいるとして、
その悩みがたったひとつということは少ないのではないだろうか。
多かれ少なかれ、ふたつみっつと、複数の悩みをかかえて生きているのが
現実ではないかと思う。
お金は現代日本人がもっとも悩むことのひとつでもあるが、
家族の問題であったり、病気の問題であったり、
複数のことを悩みながら、同時並行的に悩んで生きているのが
私たちの実像であるだろう。

そうかんがえたときに、複数起きている人生の物事について、
どうでもいいことは諦めて、
自分がもっとも命をかけたいことについて諦めないで、
生きていきたいものであると思うのである。
諦めるというときに、
本当に諦めてはいけないことを諦めることが実は多いのかもしれない。
本当に諦めるべきことは、
どうでもいいことなのではないだろうか。
しかし、私たちは本当は自分にとってはどうでもいいことにとらわれて
足をすくわれて、
本当に諦めたくないことを諦めて、
悔いの人生を歩んでいるのが現実でもあるのかもしれない。

なお、どうでもいいとか重要なこととは、
すべて自分の視点からの話である。
他人にとってはどうでもいいことでも自分にとっては大事なこと、
自分にとっては大事なことでも他人にとってはどうでもいいこと、
それぞれありうると思う。
重要なのは自分の想いである。

どうでもいいことこそあきらめる。
そして自分の生命エネルギーを自分にとって大事な何かに
すべて集中させて爆発させる。
そのときに人生の何かが動き出すのかもしれない。
過去の後悔はすべて昇華して、
それは他人にとってどうでもいいことから
大事なことに成長していくのかもしれない。

◆今日の写真
厚い雲の向こうに、ほんの少し空のようなものが見えるような気がする。
ニュースでは熊本の大洪水を報じている。
またコロナも東京を中心として再び流行をはじめている。
全国の安寧を願わずにはいられない。

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