幸せの根源は「おいしい」

幸せって何ですか?
という問いはきわめてシンプルでありながらきわめて難しい問いのひとつである。
いずれにせよひとつ確実なことは、
ひとそれぞれ幸せのありようはちがったとしても、
誰もが幸せを求めているということである。
共通した定義が難しいのに誰もが幸せを求めていると言えるのは不思議なことであるが、
人間の真実の実像と言うほかはない。

思うこととしては、幸せの根源的なもののひとつに「おいしい」ということが挙げられるように思う。
つまり、味覚としての「おいしい」であり、食事の「おいしい」である。

「おいしい」ということには多層的な意味がある。
ひとつは生存のための食事であり、
人間は誰もが食事をとらなければ生きていけないわけであり、
単に生存として食べるという意味での「おいしい」は大切である。
腐っているものであればたいていはまずいものであるが、
おいしいということは適切な捕食の上で意味を持っているだろう。

さらに次の話として、
リラックスしたり、こころをおだやかにするという意味での「おいしい」が出てくる。
かりにひとりで食事をするとしても、
食事をすることでこころが休まるということはある。
ちょっとお茶を飲むというだけでも、私たちはこころをおだやかにしたり、
ストレスのような何かを鎮めたりするということはあることである。

そして、親しい人たちと語り合いながら食べるという「おいしい」がある。
同じ食べ物でも、親しい人たちと集まって語りながら食べたときに、
「おいしい」という感覚は倍増するものであるだろう。
なんてことはないチョコレート一片だとしても、
友だちや家族など親しい人たちと分け合って食べるときに、また違った味わいがある。
逆に本来であればとてもおいしいはずの高級料理でも、
本来だったら来るはずの誰かが事情によって来れなくなってしまって、
料理だけが残されてしまってそんな料理をひとりで食べたとしたら、
あまり深い味わいはないかもしれない。

生きてゆけるという意味において、食べるということは極めて大事なことであり、
飲むということもまたそこには含まれる。
その意味で「おいしい」という要素は、幸せの根源として重要な要素と考えている。

「おいしい」というのは実は当たり前な感覚ではない。
誰でも風邪を引いたときに料理を深くは味わえないかもしれないが、
病気になると「おいしい」という感覚は難しくなってしまう。
深く悩んでいるときもまた、「おいしい」という感覚はどこかに飛んでしまうかもしれない。
おいしくもないのに食べるということは大変なことであり、
食べられなくなったときにいよいよ生命の危機は深まってしまう。

ちょうど私が大学生の頃合い、およそ20数年前に、
成人病が生活習慣病と言い替えられたことがあった。
高血圧や糖尿病といった病気は実は生活習慣にあるということで、
つまり「おいしいもの」を食べ過ぎて運動もしないということが病気を引き起こしている
ということで生活習慣病と名前をあらためられたわけであるが、
今思えば、それはバブル景気の時代だからこそ起きたことなのかもしれない。
今となってはそんなおいしいものを食べたくても食べられないという時代なのかもしれない。
それを踏まえた上で、私が重視したいのは、
「おいしい」と思えることの大事さである。

秋田弁に『け』という言葉がある。
「かゆい」とか「こっちにこいよ」というときにもただ一言『け』と言ったりするが、
「食べてみて」というときにもただ一言、『け』と言う。
何かおいしいものをたべてほしいと薦めるときにただ一言『け』と言うのである。
自信作の料理であれば『まんず、け』とか言うかもしれない。
標準語訳すれば「(ああだこうだ言わないで)まず食べてみてほしい」というところだろうか。
もし相手が落ち込んでいたりして、そんなときに元気を出してほしくておいしいものを進めるのであれば、
『け』
と一言だけ言うかもしれない。
たぶん秋田人ならばそうかもしれない。

やっぱり食べるということはきわめて大事なことである。
それは単に私たちひとりひとりが生物として生きられるという意味を超えている。
私たちは協力する存在であるが、
お互いの愛情や友情やそんな思いを確かめるために何かを一緒に食べるかもしれない。
そして、お互いに励まし合ったりするために、
何かを一緒に食べたり、何か食べ物をあげたりするかもしれない。
「おいしい」とは、
幸せの源泉でもあり、それは愛情の源泉でもあるかもしれない。
私たちの幸せとは、実はそんなところから始まっていると考えている。

今、梅雨の長雨が続いている。
熊本県の球磨川の水害があった矢先であるが、さらに福岡県でも水害が起きているというニュースを聞いた。
ただお湯を飲むだけでも、私たちはこころがやすらぐかもしれない。
誰かから差し出されたお湯を飲むだけで、私たちはほんのすこし前向きになれるかもしれない。
雨の勢いが弱まることを願っている。

◆今日の写真
朝は雨が続いていたが、今は雨は止んだ様子。

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