成功とはいったい何だろうか?

成功とはいったい何だろうか。
私たちは成功といったときに何を思い浮かべるだろうか。
大金持ちだろうか。
美男美女にかこまれることだろうか。
勝利することだろうか。
人それぞれのイメージがあってそれに違いはあったとしても、
おそらく大同小異なのかもしれない。
ひとつ共通して言えることは、
誰でも成功を追い求めているということだろう。
私たちは違いはあっても幸せを追い求めているとは何度も語ってきているが、
同様に、私たちは成功を追い求めている。
そしてそれが幸せであると考えている。

さて、成功とはいったい何だろうか。
私が思うことは、継続するということと考えている。
継続すると言われると、なんだそんなことか、
そんなこと誰だってできるわい、
と言われてしまうかもしれない。
しかし、どうだろうか。
私たちは継続できているだろうか。

例えば文学では小説家を研究しているが、
「生きている間は評と言われる、亡くなってから研究と言われる」
と大学時代の文学の授業で習ったことがある。
理由のひとつとして、小説は書き直されるということがある。
小説家が生きている限り、小説は何度も書き直される。
つまり、同じタイトルの作品でも、
初版と後期の版では内容が違っているということがあるということである。
だから、その小説家が亡くなって書き直されることがなくなってから、
はじめて研究が始まるというのである。

私たちは生きている限り何が起こるかわからない。
棺の蓋が閉じられるまでは、何が起こるかわからない。
そう考えたときに、よくテレビ番組などで、
たとえば芸能人なり社長なりなどが成功者として紹介されて、
その人がいかに成功できたかを語るようなことがあるが、
その後、その人がその成功ぶりを継続できるかどうかはまったくわからない話である。
確かに今の今は成功者として脚光を浴びているかもしれないが、
その輝きが継続できるかはまったくわからないのである。
現に成功者として脚光を浴びた人であっても、
その後没落していった人について枚挙にいとまがないことは私たちも感じているはずである。
もちろん一度没落してまた復活する人も枚挙にいとまがない。

継続するとは、実はもっとも難しいことかもしれない。
たとえば日記やダイエットの三日坊主あたりから、
私たちは継続することの難しさを感じるかもしれない。
特別何かをしようとしなくても、
今の今の人生を継続することもまた難しいと私たちは思うことだろう。
これからの日本あるいは世界の先行きの不透明さは誰もが感じているところだが、
今こんなふうに食べられている生活がこれからも続けられるのか
私たちはつねに不安を感じていることは事実かもしれない。

そう考えたときに成功とは、
生き続けることそのものでもあるのかもしれない。
生きることを継続することそのものが、実に大変である。
時として自殺したい、死にたいと思うのが人生であるのかもしれない。
生きる、生き続けるとは、実に大変なことである。
わざわざ成功とか失敗とか評価することではないことは重々承知であるが、
しかし、そのくらいに、生の継続とは大変なことである。

私たちは他人からの評価を求める存在である。
しかし、評価とはうつろいやすいものである。
究極的な評価とは、自分が死んだ後でなければ定まらないものかもしれない。
死んだ後に評価されてもうれしくないのは確かである。
それでも、他人の評価とはそんなものにとどまることもまた事実かもしれない。
つまり、成功とは自分自身の評価である。
自分自身が成功と思えなかったら成功とは言えない。
継続することが成功だとして、
やりたいと思ったことが明日もできていたとしたら、
それでもう十分ではないだろうか。

さて、私たちは継続できるのだろうか。
自分が願った何かを実現させるための努力を継続できるだろうか。
それ以前に、自分が願った何かを願い続けること自体を継続できるだろうか。
別に願いが実現しなくてもいいし、願いそのものが消えてしまってもいい。
私たちは今日を生きている。
生きるということを継続していきたいものである。

◆今日の写真
今日もまた雨が降り続いている。
梅雨前線は刻々と北上しており、
いずれはここも集中豪雨になるのだろうか。
覚悟とは難しいものである。

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