願いを追いつづける真摯なまなざし

先日、横手市増田まんが美術館を訪れた。
秋田県横手市にある美術館で、『釣りキチ三平』の作者である矢口高雄さんの出身地が横手市(旧増田町)ということで、
横手市増田に建てられた美術館である。
今は『小畑健展』を開催していて、それが終了日間近となり、
同じく横手市の秋田ふるさと村にある秋田県立近代美術館とハシゴするようなコースを考えて
行ってみることとした。

個人的に衝撃だったのは、当たり前ではあるかもしれないが、
観客層が若いことで、全員20代くらいであり、美術館スタッフも同じように20代くらいであり、
私があきらかに観客で最高齢で、しかも10歳以上引き離して最高齢のように感じられた。
たいてい美術館なんて客層は中高年が多かったりするものだが、
もちろん展示によりけりかもしれないが、
若い人ばかりという光景に驚いた。

小畑健展に入ると、やはり若い女性が真剣に原稿を眺めていて、
漫画家を目指していたりするのだろうかと思ったりした。
美大生のような雰囲気が漂っている感じで、
単なるファンではなくて、絵の描き方の技を盗もうとしているようなまなざしにも見受けられた。
展示の最後の方では小畑健さん本人がインタビューに答える映像が流れていて、
ご本人が絵を描く手元の映像も放映されていたが、
そういう映像を真剣に見入る若者も多いのだろうと思ったりした。
個人的には私が小学生くらいのころに少年ジャンプで見た作品の絵が展示されていて、
「ああ、見た見た見た」
ととても懐かしくなった。

若者男女ばかりが集う美術館で、単に漫画が好きな人もいれば、
絵を描くのが好きな人もいれば、漫画家を目指している人もいたかもしれない。
何か共通するような、そこはかとなくただよう『願い』。
そんな願いを追い続ける真摯なまなざしを見て、
生きるエネルギーとはまさにそんな願いから湧き上がるものであると
あらためて思ったところだった。

願いを実現しようとする情熱は若者の専売特許のように思われがちではあるが、
そういう願いこそ、若者時代を過ぎた私たち中高年が持ちたいものであると
私は思う。
学生時代や若き日は誰もが情熱に燃えていただろう。
そして、アラサー、アラフォーとなっていって若いとも言えなくなって
いつしか願いを実現しようという情熱がばかばかしいと思ったりするように
なっていないだろうか。
そして現役も引退して高齢者と呼ばれるような年代になって、
もう人生の残りも少ないし、願いなんて考えることもできない
と思ったりしてしまうのが現実であるのかもしれない。

私たちは時として死にたい自殺したいと思ったりすることもある。
それはまさに願いが絶たれたときではないだろうか。
生命エネルギーとはまさに願いから立ち昇る。
そんな願いを絶たれたときに絶望を感じるのは自然なことであるだろう。
近年は若者の自殺の人数が減らないことが注目されているが、
願いを抱くこともできない閉塞感が現代日本社会には満ちているのかもしれないと思う。

そもそも願いを抱くことすらばかばかしいをこえてしまって、
願いを抱くことすらも忘れてしまったのかもしれない私たち。
願いを追い続ける真摯なまなざし。
それは誰もが持てるものであり、年齢は関係がない。
願いを実現した結果にも幸せはあるかもしれないが、
むしろ願いを抱きながら努力し続ける過程にこそ
幸せはあるように思う。
20代、そこから30代40代、そして50代60代70代となって、
私たちは人生をどう生きるのだろうか。
願いを抱く。願いへ向けて努力する。
そもそも私たちは願いを抱くことすらもばかばかしいと
忌避しがちであるのかもしれないが、
何事もスタートは願いを抱くことであり、
そんな命のエネルギーの意味を私はこれからも語り続けたい。

さて、美術館内では「ウオオォォォー」
という言葉の形をしたソファが置かれているが、
何かの漫画に由来があるのだろうとスタッフに尋ねてみた。
そうしたら高橋よしひろさんの『銀牙』シリーズに由来があるとのことだった。
高橋よしひろさんもまた秋田県出身の漫画家であるが、
子どもの頃に高橋よしひろさん作の『銀牙 -流れ星 銀-』を熱く読んでいたことを思い出す。
ウオオォォォーと漫画の中には何度も出ていたかもしれないが、
あまりにも当たり前のことすぎて心には留まっていなかったかもしれない。
そんな雄叫びというか情熱は、当時の私にとって、あるいは当時の私たちにとって、
あまりにも当たり前のことすぎるものだったように思う。
そんな子どもの頃の想いをあらためて思い出した。

◆今日の写真
今朝は雨は降っていないものの、空は厚く雲におおわれている。

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