強者だから生き残るとは限らない

人類の進化の中で、数十種の人類が生まれたと言われているが、
現在生き残っているのは私たちホモ・サピエンスただ1種である。
最後に生き残っていたのはネアンデルタール人とホモ・サピエンスの2種であるが、
ネアンデルタール人も絶滅してホモ・サピエンスのみが生き残った。
体格的にはネアンデルタール人の方が力強い体格であり、
ネアンデルタール人の方がより大型獣を仕留めて食料としていたとも言われている。
では、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの違いとは何だったかというと、
声の発声に違いがあったと言われている。
ネアンデルタール人は十分に声が発達しておらず、仲間同士の意思疎通が難しかったのではないかと想像されている。
その点、ホモ・サピエンスはいろいろな語彙で言葉を交わし、仲間と意思疎通を果たし、協力することができた。
その結果として、体格的にはネアンデルタール人ほどではなかったホモ・サピエンスが生き残ったのではないかということである。
そんなネアンデルタール人とホモ・サピエンスの結末を考えたときに、
必ずしも強者だから生き残るとは限らないということを思う。
(何を「強さ」と定義するかは議論があるかもしれないが)

同様のことは生命の進化の歴史において数々起きてきたことである。
初めて陸地に上がったのは両生類と言われているが、
陸地に上がる前のその種は、川の落ち葉が積もったような浅いところに住んでいたと言われている。
川の中央は大きな魚が占領しており、そんな種はたちどころに捕食されてしまう。
大きな魚が来ないような落ち葉や枝が降り積もるような浅瀬というか沼のようなところというか湿地というか、
そんなところに住んでいたからこそ、ひれが発達して手足のように進化していった。
そんな進化していった手足のようなものを使って、地上へと進出した。
一般的に川の中央を占領していた大魚こそ強者と思われるかもしれないが、
そんな強者に追いやられて住みづらかったかもしれないごちゃごちゃしたところで生きていた小さな魚類が
両生類になって地上へと進出していって、後に私たち人類へと繋がっていた歴史を考えたときに、
私たちの祖先はまちがいなく弱肉強食の弱者だったとは言えるのではないかと思う。

恐竜が絶滅したのは隕石の衝突であると言われているが、
恐竜が絶滅したことで、当時は小さな動物でしかなかった哺乳類がいよいよ地上へと広がっていくことになる。
隕石の衝突はたんなる偶然であるかもしれないが、
こんな偶然といえども馬鹿にはできなかったのが生命の歴史でもあった。
地上に木々が発達すると、木々の上で生活するサルの祖先が発達するようになる。
地上で大型の哺乳類に捕食される状況で、樹上という新しい領域に私たちの祖先はフロンティアを見出した。
水中から地上へ、地上から樹上へ、あるいは隕石の衝突など
フロンティアへ進出したり、さまざまな偶然が起きたりと、
そんな中で、私たち人類は生まれていった。
(NHKスペシャル『地球大進化』シリーズなどより)

そんな生命の歴史を考えたときに、
必ずしも強者が生き残るとは限らないということは言えるのではないかと思う。
弱者といえども創意工夫により生き残ることは可能であり、
強者といえども油断して生きる工夫を怠れば、あっというまに滅んでしまう。
それはホモ・サピエンス以後の人類の歴史を見ても、そうであるかもしれない。
私たちは弱いからといってあきらめる必要はない。
弱い者同士であっても協力したときに新しい力が生まれることもあるはずである。
生きることをあきらめない。
私たちもそんな祖先たちのようでありたい。

◆今日の写真
今日は久々に晴れた。おだやかな風が吹いている。

◆ご感想をおよせください
leader★yatti.org(★を@にかえてください)