疑問を持っていい

人類の歴史の中で、その時代その地域での数々の常識があったわけだが、つねに疑問を持つ人はいたと考えている。
そのときの一般的な価値観に対して疑問を持っていた人はいて、そんな疑問から新しい説や論が生まれてそれが新しい価値観を作り、世界は発展してきた。そして今に至っている。

例えば宗教。
無宗教的価値観は日本に限らず先進国で増えてきているが、
古代や中世であっても、神はいないんじゃないかと疑いを持っていた人はいたと想像する。
もちろんそんなことを言えば当時の価値観であれば処刑されたかもしれず、
言うことはできなかったと想像されるが、
しかし、神はいないんじゃないかと思った人もまた必ずいただろうと想像される。
科学が発達して唯物論的な考え方が広がってきて、物質的な側面を強調する考え方が現在であるが、
人類はつねに、からだとこころ、物質と精神、世界と魂、そんな二つの軸で世界を人生を見つめてきたことは事実だろう。
こころとはいったい何なのか。
私たちの意識とはいったい何なのか。
現代科学ではまだまだ解明されていない部分はある。
いずれにせよ唯物論的な考え方と精神世界的な考え方は再び合流して、
科学と宗教は合流していくと想像しているが、
すべては世界に対する人間の解釈でしかないと考えている。
現代においても神は存在すると考えている人は少なくないわけだが、
そんな二者の考え方は徐々に近づいていくだろうと想像している。
例えばこれからのAIの発達は、物質と精神という二つの隔絶した次元の価値観について
その隙間を徐々に埋めさせていくことになるだろう。

ガリレオ・ガリレイは物は重くても軽くても同時に落ちるということを
ピサの斜塔から実際に重いものと軽いものを落としてみせて証明した。
当時は地球を中心に太陽が回っていると考えられていたが、
太陽を中心に地球が回っているとも主張した。地動説である。
光には速さがあるのではないかと思い、実験で確かめようともした。
世界に対する疑問、本当にそうなのかという思い、そして確かめる。
自分自身の思いを大切にしたからこそできたことである。
そしてそんなふうに世界に疑問を持った人は数限りなくいたものと想像する。
天体観測をしていて、惑星の動きに疑問を持ち、
もしかして地球の方が太陽の周りを回っているんじゃないか
と思った人はいたのではないかと思う。
しかし、世界の常識は天動説であり、そんな不思議な星(惑星)もあるものだと思うしかなかったのかもしれない。
記録に残っていないだけで、気が付いていた人はもっと古代に数限りなくいたかもしれないと想像する。

疑問を持っていい。
すべては疑問から始まった。
そしてそこへの探究が新しい何かを生みだしていった。
もちろん無理に疑問を持たなくていいし、
新しい何かを生みださねばならないことはないかもしれない。
その上で、私たちは素の気持ちを大事にしたいものである。
自分の感じたありのままを大事にしていい。

◆今日の写真
朝方は小雨が降っていたが、徐々に晴れ間が広がってきた。

◆ご感想をおよせください
leader★yatti.org(★を@にかえてください)