やっちプロフィール

高山康弘(たかやまやすひろ)
人生研究勉強会『秋田魂の戦友』案内役
愛称は「やっち」

◆少年時代

1978年(昭和53年)秋田県生まれ。
3歳頃かそのくらいか、物心ついたときから第二次世界大戦に興味を持ち、
第二次世界大戦に従軍した祖父の戦争体験をくりかえし聞き、
戦争を通して「生きる」ということについて探求する少年時代を過ごす。
小学生のときは読書が好きで、特に歴史上の人物の伝記を読むのが好きだった。
小学6年生のときにイタイイタイ病に関する本を読み、感銘を受ける。
「生きる」というテーマは子どもの頃から離れられないテーマだった。

小さなころから自転車で遠くに行くのが好きで、大人たちにも驚かれたことがある。
小学1年生の頃に、遠くに引っ越していった友達に会いに自転車で行き、その途中の道で別の友達と出会ったり、
その頃からすでに行動範囲が広かった。
少年時代はちょうどファミコンが出た頃で、ファミコンにも熱中したが、
それと同時に野外で遊ぶのも好きだった。
友達たちと空き地の草原で日が暮れるまで遊んだ。
空き地の砂地に線を引いて、自転車レースコースを作ってみんなでいかに走り抜けられるか遊んだこともあった。
砂地を掘ると水が出ることがあるが、そんな水を見つけるのが好きで、友達と協力して井戸を掘ったりもした。
牛乳パックで井戸枠を入れ、紙コップで水をくみ上げるようなつるべ井戸を作ったりもした。
工作が好きだった。
踏切や料金所の遮断機で途中で折れるタイプのものがあるが、それに不思議さを感じて、
紙工作でそんな遮断機を再現し、おもちゃの車を走らせたりもした。
何かを作りだすのが好きだった。
自然への親しみ、遠くへの旅、友達たちとの協力、そして創意工夫と新しいものの創造。
今の自分の源流はこの頃にあり、そんなエッセンスが今の自分を形作っている。

当時は少年だったこともあり、大人たちも誰も何も言わなかった。
まだ昭和なんて時代。当時はバブル景気真っただ中であり、大人たちにこころの余裕もあって、
子どもたちの何かなどどうでもよかったのかもしれない。
少年だったから許されたのか、時代だったのか、とにもかくにも自由に生きていた時代だった。

◆中学生時代

中学校には複数の小学校が合流し、たくさんの仲間たちが集まったこともあり、
友人関係も大きく広がった。
中学1年生のときには休み時間に鬼ごっこをして遊んだ。
また放課後にはクラスのほぼ全員の男子がとある公園に集まって野球をしたこともあった。
同じ公園で、冬には多数の男子を集めて雪合戦をしたこともあった。
多くの友達を集めては遊ぶことが好きだった。
祭好きというか宴会好きというか、人を集めてワイワイやるのが好きなことは今に続いている。
当時もまたテレビゲームが全盛でテレビゲームで遊びつつも、
友達たちとの外での遊びにも熱中した。
あちこちの公園で鬼ごっこやそんな類の何かに熱中していた。
友人が持っていたボードゲームに友人宅でみんなで熱中したり、
学校の休み時間に軍人将棋に熱中したりした。
ボードゲームを紙で自作して遊んだこともあった。
冬の雪合戦では、一からルールを作り、競技方法を工夫した。
遊びとは創造性であり、自分たちであれこれと考えては熱中した。
今に続く創造性は少年時代に生まれ、この頃に成長した。3年間はそんなふうに積み重なった。

中学1年生の頃に湾岸戦争が起きて、冷戦終了直後の世界の雪解けムードは崩壊した。
日本でのバブル経済は建前上はすでに崩壊していたが、誰もがバブル経済の雰囲気のままで、
この頃の大人たちはこころの余裕がまだあったのかもしれない。
そんなこころの余裕は中学生の私たちにも反映していたのだろう。
であるからこそ、当時はあんなふうに自由に遊べたのかもしれない。

◆高校生時代

高校生になっても、まだまだ自分自身のこころは少年のままであったのかもしれない。
しかし、周りの友達たちは確実に大人へと変わっていった。
中学生時代の感覚で遊びに誘ったりしたが、
周囲の友達たちはそんな遊びにあまり乗ろうとはしなかった。
自分自身の感覚と周囲の友達たちの感覚は確実にずれはじめていた。
進学校であり、誰もが大学受験に必死になる時期。
ただでさえ、私たちの中のこころの余裕はなくなっていた。
人生最初の深い挫折と絶望を経験したのはこの頃である。

当時はバブル崩壊の影響が人々の生活に現れてきた頃でもあっただろう。
大人たちのこころからは確実に余裕が失われていった。
阪神淡路大震災が起きたのはこの頃である。
地下鉄サリン事件が起きたのもこの頃である。
世の中に閉塞感が満ちるようになり、そんな余裕のない雰囲気は
確実に当時の高校生のこころにも忍び込んでいただろう。

そんな当時でも創造性はあって、
友達と協力してボードゲームのような架空戦記のようなゲームを作って熱中したりもした。
しかし、やはり私たちのこころの余裕は限られていて、
自由な展開をすることはなかったかもしれない。
その後、浪人して大学受験を目指すことになる。

◆大学生時代

大学進学のため、北海道に渡る。
当時は心理学がブームという雰囲気もあり、こころの問題に興味をもって
大学では心理学コースを選択して勉強した。

時代としては、日本全体の不景気が極まったときだっただろう。
就職氷河期時代の真っただ中でもあったし、
人々のこころの余裕が失われていた時代でもあった。
それは今にも続くかもしれないが、
当時がもっともこころの余裕がなかった時代ではなかっただろうか。
日本が経済大国と呼ばれるようになって、
やっと人々が「こころの豊かさ」に興味を持つようになった時代。
であればこそ心理学もブームになったかもしれないが、
前提となる物質的豊かさはすでに崩壊がはじまっていた時期でもあっただろう。

人生最大の挫折と絶望を経験したのはこの頃である。
自分自身と周囲の仲間たちとの感覚のずれは非常に大きくなっていた。
今も昔も日本人はそうであるかもしれないが、
自分を隠したり曲げたりして社会に合わせることが求められるのは事実であるかもしれない。
しかし、自分を曲げるには不器用すぎたし、自分を隠すには素直すぎた。
仲間たちと温度差が広がっていったのはそんな理由もあったかもしれない。
もちろん、それは私個人の身勝手さでもあったかもしれないし、
その責任から逃れるつもりはない。

当時はインターネットが世に出た頃であり、
インターネットを通して自分と同じ趣味の同好の仲間たちとつながり、
今で言うオフ会というところだろうか、
遠くの地域までリアルで会いに行ったりもした。
まだSNSどころかブログという概念もなかった時代であるが、
インターネットが自己完結しておらず、
あくまでリアルな生活の補助として使われていた時代でもあったかもしれない。
世界のどこかには自分と同じ感覚の人がいるという経験は
大きな希望であった。その感覚は今の自分につながっている。

北海道に渡ったことは自分にとって今でも大切なことである。
島全体で独立してやっていこうという気風はまぶしく感じられ、今の自分に流れている。
青春の時代を多くの恩師や友人たちと過ごし、お世話になった。
その想いこそが今の自分の柱となっている。

◆埼玉社会人時代

大学卒業後は東京に出たいと思い、御縁で埼玉に住むこととなった。
埼玉を拠点に就職活動を重ね、とある職場と御縁をいただき、
社会人生活が始まった。

アメリカ同時多発テロが起きたのは就職活動をしていた時だった。
湾岸戦争後アメリカを頂点として維持されていた世界秩序がゆらぎはじめ、
アフガニスタンそしてイラクへと戦火は拡大し、世界情勢は混迷をきわめていく。
日本はバブル崩壊後、経済立て直しに努力していたが、
つまるところ日本の努力はすべてうまくいかず、日本経済もまた低迷し続け、
日本人のこころは沈んだままだった。
そこにリーマンショックが訪れ、停滞する日本にさらに打撃を与えた。
年越し派遣村と騒がれたのもこの頃であり、
派遣労働者として苦しい時期を過ごしていた世代はまさに自分自身の世代でもあった。
そして東日本大震災が起きる。
地震や津波の被害だけにとどまらず、福島原発もまた事故を起こすこととなった。

その職場では、約10年ほど勤務させていただいたが、
30代半ばの頃に退職することとなる。
自分自身の努力不足であり、ひとえに私個人の責任に帰する。
多くの方にお世話になり、感謝に尽きない。

埼玉では20代から30代の期間を過ごすこととなったが、
東京や埼玉を中心にさまざまな活動に打ち込み、貴重な経験を重ねた。
全体を通して多くの方にお世話になり、自分を支えてもらった。
北海道そして埼玉へと渡った経験は一度も忘れることなく、
自分のこころの柱、すなわち『魂』を形作り、
今の自分の血として流れている。

◆活動を始めるまで

30代後半頃、秋田に帰郷する。
この頃は自己実現を模索していた時代でもあるが、
いろいろな構想が浮かんでは消える時期でもあった。
秋田に来てからもいろいな方にお世話になり、いろいろな方と交わった。

この頃の日本といえば、自然災害に苦しめられた時代でもあった。
熊本地震で多くの被害が出たことに加えて、北海道胆振東部地震では北海道全域で大規模停電が発生した。
また、広島など西日本を中心に集中豪雨(2018年7月)が降って多くの犠牲者が出た。
その翌年の夏(2019年)には台風が来て千葉地方を中心に停電などの大きな被害を出すこととなり、
さらにその直後にも台風が来て福島地方などを中心に大きな被害を出すこととなる。
今まで異常気象と言われていたことが立て続けに起こるようになり、
異常が異常ではなくこれからの当然であるのかもしれないということを
意識するような状況に直面することとなった。
上皇さまが譲位についてのお気持ちをビデオメッセージで述べられたのは2016年であるが、
平成から令和へと日本はまた大きな節目を迎えようとしていた。

2018年(40歳)のときに、自分の人生観と宗教観を語りたいと思うようになる。
YouTubeの場を活用した情報発信を考え、
2018年12月4日、YouTubeにて『やっち時間』を開始する。
そして、人生研究家として人生を研究する活動を開始する。

◆現在、そして未来へ

2019年7月からダイエットを開始し、約1年かけて11kg減量し、目標を達成する。
同年8月から家計簿をつけ始め、1年継続し、自己の金銭管理を継続している。
2020年3月から、今まで行なっていたウォーキングに加えてストレッチ体操を始めたり、また日記をつけはじめるなど、新しい行動を開始する。
規則正しい生活を行うなど、自己管理を深める努力をかさねている。

現在、秋田県在住。今年で42歳になる。
秋田を拠点として人生について研究を深め、
誰かの生きるヒントになるような何かを発信できることを願いながら、
自分の想いをこれからも発信し続けたいと願っている。

活動の中で「人生導師」という言葉を使っているが、
人生導師とは自分の理想とする境地でもある。
人生の中で特定の宗教宗派に所属したことはないが、
自分独自の宗教観が子どもの頃からあって、それは今に続いている。
自分自身の宗教観を大事にして、これからも育てていこうと思っている。

自殺防止という問題をはじめとして、平和の問題など、人間にとっての重い問題に興味を持ってきた。
そういったテーマは非常に大きなテーマであることは自分自身理解しているが、
これからもひたむきに興味を持っていきたいと思っているし、
身の丈で少しずつ何かできたらと考えている。

釈迦の人生について興味があり、独自に勉強をはじめる。
まだまだ理解できておらず、長い道のりになると感じているが、
自分なりに少しでも成長できればと願う。

趣味としてボランティア活動を行なっている。
ボランティアするように見えて、ボランティアされているのは自分だといつも思う。
好きで続け、好きで楽しむという視点を大事にしながら、
これからもボランティア活動を継続していこうと思う。

ドライブが好き。
少年時代から自転車で遠くに行っていたように、今も遠くへと走るのが好き。
自然と温泉を愛する。
野山に自然に咲く花々を眺めるとこころが落ち着いていく。
30代から温泉に目覚める。
露天風呂に入って空を眺めるのもまた好き。
好きな食べ物は和食。
朝食は納豆とごはんと漬物、そしてみそ汁。
生涯において質素な生活でありたいと願っている。

このような私ではありますが、これからもどうかよろしくお願いします。

ここまでご覧になっていただきありがとうございます。
これからもやっち世界をお楽しみください。