「生きていてよかった」自傷行為に接して最初に思う言葉 苦しみが理解されるだけで人は救われる

みなさんこんにちは。
お元気されていますでしょうか。

「生きていてよかった」
自傷行為に接して思うことはただその一言です。
具体的な解決がなかったとしても、心が理解される、苦しみが理解される、ただそれだけで人は救われるのだと思います。
特段の問題の解決がないとしても、その苦しんでいる心が分かってもらえる、ただそれだけで人は明日を生きるパワーが湧いてくるのではないかと思うのです。
ただそう言えばいいというものではありません。
言葉だけで気持ちがなければ、そんな気持ちの無さは伝わり、相手をさらに孤独にさせるでしょう。
重要なのは心です。
「生きていてよかった」
と真剣に思うことは、うまい言葉をかけられなかったとしても、相手に伝わるのではないかと思います。

夏休み最終日と夏休み明け初日は、子どもの自殺がもっとも増えるときでもあります。
その背景には、はるかに多くの自傷行為や自殺未遂をした子どもたちがいるのだと思います。
もしかしたら、自分の子どもがそんな自傷行為を起こす、そんな場面に遭遇しないとも限りません。

そんなとき、
「生きていてよかった」
と心から思うこと、そして抱き締めること、
そんな気持ちが子どもを救うのではないかと思うのです。

もちろん、何が「生きていてよかった」だ、生きていてちっともよくはないやい、と反発されるかもしれません。
そんなふうに思うことは自然なことだと思います。
重要なのは苦しみを理解することであり、苦しみを理解しようとする心だと思います。
私たちは他人の苦しみを完全に理解することはできないかもしれませんが、それでも理解しようと思うことはできます。
ただひたすらにその人の苦しみを、その子どもの苦しみを理解しようとする。
それが「寄り添う」ということでもあると思います。
具体的な何かが変わらなかったとしても、ただ苦しみを理解してもらえる、それだけで、人は今日を生きることができるように思います。
子どもの最後のよりどころは家庭であり両親です。
完全に子どもの気持ちを理解することが難しいとしても、私たちは理解しようと努力することはできます。
そんな気持ちが出発点になるだろうと思います。

これから子どもたちは危機を迎えます。
本当は学校というものがそんな危機を与えるものであるということそのものがおかしいことであるのです。
しかし、すぐに現代日本社会の何かを変えることは難しいでしょう。
「生きていてよかった」
「あなたが生きていてよかった」
「あなたが生まれてよかった」
ひとりでも多くの子どもたちが救われることを心から祈ります。

少子化問題は誰のため? 私たち先に生きる者は、後に生きる子どもたちに対して責任がある

こんにちは。お元気されていますでしょうか。
超高齢少子化社会と言われて久しいですが、さて、少子化問題はいったい誰のためなのでしょうか?

私が感じるに、少子化問題は、高齢者や大人たちのために語られているような気がしてなりません。
少子化問題は、本当は子どもたちのために語られなければならないはずです。
今を生きる若者や子どもたち、そしてこれから生まれてくる子どもたちが幸せに生きられるように、満ち満ちて快適に幸福に生きられるように今を生きる私たち、大人たち高齢者たちがいったい何ができるのか。
そんな視点で少子化問題は語られるべきはずなのに、現代日本社会では、少子化問題というと、どちらかというと、子どもがいなくなることによって、高齢者や大人たち、社会を支える担い手がいなくなるというような、なんというか子どもたちが「手段」というか、さらに突き詰めて言えば「道具」のように言われているような気がしてなりません。
例えば年金問題など分かりやすいですが、子ども一人が高齢者〇人を支えるというような議論は、自分たちを養ってくれる人がいなくなるという危機感が感じられ、そういう視点というのは、少子化問題の視点として適切なのだろうかと思うのです。

先に生きる者は、後に生きる者に対して責任があります。
大人たち高齢者たち先に生きる者は、後に生きる若者や子どもたち、これから生まれてくる子どもたちに対して責任があります。
これから生まれてくる子どもたちが幸せに生きられるようにするためにはどうしたらよいのか、私たちは努力しなければなりません。
ところが、その順番が逆になっている。
自分たちを支えてくれる子どもたちをどうやったら増やせるかというような議論になっている。
そんなことは実はみんな気が付いていて、
気が付いているからこそ、子どもを産みたくなくなってしまっている、
そんな風潮があるようにも私には感じられます。
これから生まれてくる子どもたちが不幸になると思えば、誰だって子どもを産もうとする気持ちにはならないと思うのです。

もし私たちが今を生きる若者や子どもたち、これからの子どもたちを真剣に考えるとすれば、
待機児童や子どもたちの自殺、不登校といった問題が変わってくるように思います。
どれも何十年と語られていて、一向に解決しない問題ばかりですが、
そういった問題が変わってくるように思います。

今を生きる私たちは、後を生きる子どもたちに対して責任がある。
そして、子どもたちを立てる形で、子どもたちファーストで社会のあり方を考えたときに、日本は復活するように思います。

夏休み最終日に向けて、自分の子どもに声をかけてみよう 最後に子どもを助けられるのは親しかいない

みなさんこんにちは。
お元気されていますでしょうか。
今日の私は十和田湖に来ています。秋田県と青森県の県境にある山の中の湖です。
夏休みももうすぐ終わりですが、お子さんの様子はいかがでしょうか。

夏休み最終日が近づいてきました。
夏休み最終日は、子どもたちの自殺がもっとも増える瞬間でもあります。
自分の子どもに限って、とは思わずに、ぜひお子さんを注意深く見てあげてください。
そして、様子がおかしいとか元気がないとか、異変が見られたら、
「学校行きたい?」
と声をかけてみてください。

まったく前触れもなく元気だったのに、というケースも多いと思われますが、
前触れがあったり、様子がおかしかったりするケースもあるのではないかと思います。
もし様子におかしいところがあったり、元気がなかったり、
「学校行きたくない」
というような言葉があったときは、ぜひ注意してください。
そして、無理に学校に行かせようとせず、学校を休ませて、
例えば風景のきれいなところに子どもを連れていってみてはいかがでしょうか。

最後に子どもを助けられるのは親しかいないのが現実だと思います。
大人であれば、もし会社が嫌であれば会社を辞めることもできるかもしれません。
環境が嫌であれば、その環境から自力で逃げ出すこともできるかもしれません。
しかし、子どもが学校を辞めることは難しいでしょう。
環境が嫌でも、そこから独力で脱出することは極めて難しい。
そんなとき、子どもは最後の脱出手段として、悲劇的な手段を選んでしまう可能性があるのだと思うのです。

子どもの最後の逃げ場は家庭であり、
子どもが最後に頼れるのは両親しかいません。
もし夏休み最終日が近づくにつれて、
元気がなくなっていったり、
体調が悪くなっていったり、
直感で様子がおかしいと思ったときは、
声をかけてみてください。

「学校行きたい?」

とそんな言葉をかけてみるだけでも、違うのではないかと思います。
もちろん本音を隠すケースもあるかもしれませんが、
本音を話してくれるケースもあろうかと思います。

もし「学校行きたくない」と言うのであれば、無理に行かせようとせず、
「しばらく休んでみようか」
と言うことも大事なのではないかと思います。
そんな親の姿勢が、子どもの命を救うことになるかもしれません。

そして、休み明けの日は、
例えば親も仕事を休んで、
子どもをこんな十和田湖の湖畔のような、
風景のきれいなところに連れて来てみてはいかがでしょうか。
親が自分のために仕事を休んで連れて来てくれたその姿勢に、
子どもは感動して、安心感を持ってくれると思います。
そんな安心感や信頼感が、子どもの生きる力になるのだと思うのです。

夏休み最終日を私はとても心配しています。
最終日に向けて、命について考えていきたいと思います。

大切なお知らせ 私たちは魂の戦友 新団体名とこれからの活動

みなさんこんにちは。
いつも当教会のサイトや動画をご覧になってくださり、ありがとうございます。
お元気されていますでしょうか。

今日はみなさまにとても大切なお知らせがあります。

今日をもちまして、人生導師やっちから本名に名前を改めました。
同時に、秋田やっち教会を『魂の戦友』と改称しました。
2月26日に設立して以来、約半年、たくさんのことを学びました。
私たちの教会の本質をさらに明らかにした言葉をずっと探していましたが、このたび『魂の戦友』と改めて名付け、当教会をリニューアルオープンしました。

そもそも人生導師とは何かということですが、
もし一言で表現するとすれば、

人のために生きる思想系宗教家

となります。
神仏のために生きるのではなく人のために生きると考えています。
信仰については、神仏の存在もさることながら、神仏を信じようと思う人間の心を重視しています。
この現世を私たちはどう生きていったらよいのか。
神仏の存在や死後の世界など、現世や自然を超えた世界にも踏み込んで考えながら、私たちがどう生きていったらよいのかを考え、その思想を伝え、現代日本社会で苦しみ迷っている人の心を導いていくことを目標としています。

次に魂の戦友とは何かということですが、
『魂の戦友』とは、人生導師が提唱する宗教観に基づく宗教団体です。
人類史上たくさんの宗教宗派が生まれましたが、既存の宗教宗派のどこにも属さないまったく新しいオリジナルな独創宗教です。
人生とは苦しみです。
私たちはそんな「苦しみの人生を共に生きる魂の戦友である」という理解が出発点です。
人間は協力しますが、仮に協力する力が出せなかったとしても、ただ一緒にいるだけで心強い、それが人間の真実でもあります。
人生はあたかも烈しい戦場のように、私たちを苦しめます。そんな苦しい人生の中で、一緒に同じご飯を食べ、同じ苦労を味わい、共に歩んだ仲間たちは、まさに『戦友』と言うにふさわしいでしょう。
現代日本社会は苦しみの社会ですが、そんな苦しみの人生を、絶望することなく希望を信じてそれでも生きる。ひとりではできなくても誰かと一緒ならば心強く、できるかもしれない。
そんな『魂の戦友』と出会い、絆を強くし、困難を乗り越えていく。そういった場になればと願い、今日、『魂の戦友』と名付け、教会をリニューアルオープンしました。

これからの活動についてですが、現在のYouTubeを通した人生思想の語りだけでなく、本の出版やセミナーの開催など、リアルでの活動展開も計画しています。
また、ただ語るだけではなく、実際に行動することも考えています。
災害ボランティアに代表されるような誰かのために自分の力を役立たせるような活動を行なっていきたいと計画中です。
そんな現代日本社会のために活動していく組織として「教導師団」という組織を『魂の戦友』の中に設置し、具体的に行動を起こしていくことを計画中です。

今日は8月15日、令和時代最初の74回目の終戦記念日です。
生まれた時から人生をかけて探求してきた第二次世界大戦の終了日にこのようなご報告ができることをとてもうれしく思います。
今日、戦争は終わりました。
そして、手をとりあって再び一緒に生きる時代が始まりました。
戦争は終わらせなければなりません。
戦争を終えるとは、敵だった相手を再び仲間として一緒にこの世界で生きていくということでもあります。
本当の意味で戦争を終わらせ、誰もが一緒に生きていける社会を考える。
「昨日の敵は今日の友」とよく言いますが、一緒に戦った戦友たちがこれからも永遠に戦友であることはもちろんとして、昨日刃を交えた敵も、今日になればみんな戦友なのです。
『魂の戦友』がどんどん増えていく。
そんな時代を願い、そんな時代にしていきたいと、人生導師はこれから努力していきたいと思います。

終戦記念日に祈る 戦争が終わったら敵も味方もなく手を取り合って生きていく

みなさんこんにちは。人生導師やっちです。
今日は終戦記念日です。
74年前の今日、1945年8月15日に第二次世界大戦は終わりました。

終戦記念日によせて私がぜひみなさんに聞いてほしいのは、
終戦時に昭和天皇が読み上げた玉音放送です。
玉音放送といえば一番有名なのは、
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」
という部分です。
一番有名なこの部分以外はあまり知られていないのが現実だと思いますが、
私がもっとも気になるのは、
「五内為に裂く」
と昭和天皇が話している部分です。
国民の苦しみを思ったときに、五臓六腑が張り裂けるような気持ちだ、というような意味ですが、昭和天皇は本当に自分の体が張り裂けそうな気持ちだったのだろうと私は想像します。
多くの国民が自分の名を唱えて自決したり突撃したりして死んでいく。
そんな話を聞いて、昭和天皇は本当に苦悩されたのだと思います。
昭和天皇の深い深い苦悩がその「五内為に裂く」に溢れ出ているように私には思われます。

戦争とは、終わったら敵も味方もなくなるものです。
戦争が終わったら、私たちは敵も味方もなくなって、手を取り合って生きていかなければなりませんが、果たして私たちはそんなふうに思うことができるでしょうか。
大変難しいと思います。
親兄弟や子ども、親しい友人を殺されて、それで戦争が終わったから相手を許しましょう、相手を愛しましょうと言われても大変難しいと思います。私もそう簡単に心の整理が付くとは思えません。
けれども、戦争は終わらせなければならないものですし、戦争が終わったら、敵も味方もなくなって、私たちは再び手を取り合って生きていかなければなりません。

そう考えると、戦争というのは本当に起こさないように気を付けなければなりません。
そして、仮にやむにやまれず起きてしまったとしても、犠牲が小さくなるようにできるだけ早く終わるように努力し、戦争を終えることができたら、再び私たちは敵も味方もなくなって手を取り合って生きていくことが求められます。

とても難しいテーマであることは分かっていますが、そんな戦争を考えるきっかけの日に今日がなればと祈ります。

第二次世界大戦で亡くなったたくさんの人たちに心からお祈りします。