困難な人生を生き抜くためには

人生とは苦しいものです。
現代日本社会は一見豊かに見えて、一皮剥けば苦しみの渦でもあります。
特にこれからの現代日本社会はますます苦しいものになっていくでしょう。
国債の増大、少子高齢化、消費税の増税。
そういったもので、現代日本社会はますます苦しく、私たちの人生は困難なものになっていくでしょう。
そんな現代日本社会において、
私たちはどのように人生を生きていったらよいのでしょうか。

それは、好きなことをやることです。

現代日本社会は好きなことをやることが認められない社会でもあります。
好きなことをやることは奨励されません。
そして、ただ我慢することが美徳とされます。
我慢に我慢を重ね、やりたくないことに耐えて耐えてやって、そして生きていくことが美徳とされるのです。
以前はそれでもよかったのかもしれません。
日本がまだまだこれから成長できると信じていた時代。
そんな時代であれば、今はつらく苦しくても、我慢して耐えていきていれば、いつかは幸せになれると信じることができたでしょうし、現にそうもなっていたかもしれません。
しかし、今はそんな時代ではなくなってしまいました。
我慢しても報われることのない時代になりました。
こんな時代を生きていくためにはどうしたらよいか。
それは好きなことをやることなのです。

よく好きなことがわからないと言われることがありますが、
それは好きと言えないだけで、本当は好きなことはあるものだと思います。
同調圧力がつよい現代日本社会において、
好きなことを好きということも
難しいものです。
こんなことを好きといったら笑われるのではないか、馬鹿にされるのではないかという恐怖にすっかりおびえて、
私たちは好きなことを好きとも言えずに、そもそも自分の好きなことが何だったのかわからなくなっているのだと思うのです。
そのような中で、
人はすっかり生きるよすがを見失い、例えば精神的に病んだり、自殺したりしたくなるのだと思います。

好きなことは子どものときから好きなものです。
そして、好きなことは困難があっても好きなものです。
どんな困難が押し寄せたとしても、
好きなものとは好きなんですね。
だから、生きる支えになるのです。
どんなにつらく苦しくても、
好きなものは好きなのです。
だから、生きていく支えになる。
好きなものがあることによって、私たちは未来に夢を抱くことができます。
そして、今日を生きることができるのです。

今は好きなことができないということもあるかもしれません。
それでも、私たちは夢を見て生きていくことができます。
今はできなくても、
いつかできる日がくるかもしれない。
そんな日を夢見て、今日を忍んで生きていく。
人生とはアウシュビッツ強制収容所のようなものかもしれません。
今は何もできなくても、
いつか解放される日がきて、できるようになるかもしれない。
そんな夢が、生きていく希望になります。

好きなことをやりましょう。
好きなことに打ち込んでいきましょう。
それが生きていく心の支えになります。
これからの時代、我慢しても報われるかどうかはわかりません。
おそらく、報われない可能性の方が高いでしょう。
今こそ、やりたくもないことは手放して、
やりたいことに取り組むべきなのです。

私はそんなあなたの好きなことを応援します。
一緒に生きていきましょう。

健康になるためには

健康になるためには、健康でいられるためには、私たちはどうしたらよいのでしょうか。
11月になりました。
これから季節は冬を迎えます。
風邪をひきやすい季節であることはもちろん、冬季性うつなどと言われたりもしますが、特に日本海側は天気の悪い日が多くなり、それだけで気がめいりやすくなる季節になるかと思います。
このような寒い季節を私たちはどう乗り切ったらよいのでしょうか。
健康維持の方法、健康になるためのコツについて語ります。

健康になるための一番の道は、自分の望む道を生きることです。
現代日本社会では、とかく私たちは望まない道を生きることを求められます。
望まない我慢や忍耐を求められるのが現代日本社会ですが、
そんな望まない我慢や忍耐をし続けたら、誰だって病気になります

もちろん我慢や忍耐は人間が生きていく上で必要なことですが、
その我慢や忍耐はあなたが望んたことですか?ということなのです。
望んで受ける我慢や忍耐であれば問題はないのですが、
私たちは往々にして望んでいない我慢や忍耐を強いられます。
そしてそんなことが永遠に続くと思われたとき、
たとえば私たちは、自殺したくなったりするのではないでしょうか。
そして、私たちはすっかり病気になってしまうのです。

もっとも病気になりにくく、健康でいられやすい道とは、
やはり、自分の望んだ道を生きるということです。
やりたいことをやるということです。
もちろん、それはとても難しいことです。
それでも、私たちは、自分のやりたいことに挑戦し、
自分の気持ちを表現できるように挑むべきでしょう。
自分のやりたいことをやり、自分の気持ちを表現する。
そして、それを他人に受け容れてもらう。
そうやって私たちは健康になれるのだと思うのです。
自分の望む道を生きる、それができるようにする。
そのために私たちは努力するべきです。
そのために行う我慢や忍耐であれば、
そんな我慢や忍耐は光り輝き、
私たちはそんな我慢や忍耐をも楽しんで
生きていくことができるでしょう。

もう一つの道としては、
自分の想いを誰かに語るということです。
自分の悩みを誰かに相談するということです。
生きていく悩みとは、ひとりで抱えるにはとても大きなものです。
誰かに悩みや自分の気持ちを話す中で、
私たちは心の調子を整え、健康になっていくことができるでしょう。

自分の望む道を生きる。
自分の望む道を生きられるように努力する。
我慢や忍耐の先に健康はありません。
自分が望む我慢や忍耐なのか、考えてみてください。

『魂の戦友』が目指す宗教観

現代日本人が抱く宗教観とはいったいなんでしょうか。
現代日本人の多くは「自分は無宗教である」と言ってはいますが、一方で初詣で神に祈るなど、神仏を信仰しているのが現実でもあったりします。
それは矛盾しているとかおかしいとかということではなくて、それが現代日本人の宗教観なのだろうと私は思うのです。
そんな現代日本人が抱く宗教観をそのままに肯定し、追認することはできないかと思うのです。
『魂の戦友』が目指す宗教観はそこにあります。
現代日本人が抱いているある意味素朴な宗教信仰。
そんな宗教信仰をあらためて整理し確認し、まとめて一つの体系として組み立てることはできないだろうか。
それが私が考えている、『魂の戦友』として目指している宗教観です。

例えば、私たちは自然に「前世」とか「来世」とかという言葉を使います。
『前前前世』(RADWIMPSさんの歌)という歌も流行しましたが、
私たちは自然に
「前世から結ばれていた」
とか
「来世でまた会おう」
とか言ったりします。
私たちは、ナチュラルに輪廻転生を信じていたりします。
生まれ変わって再び生きる。
そういう輪廻転生という世界観を受け容れていたりします。

私たちは死後の世界を信じています。
例えば亡くなったペットはどこにいくのでしょうか。
『虹の橋』
なんて詩もあったりしますが、
私たちは亡くなったペットが虹の橋の向こうで待っていると考えたりします。
私たちが亡くなったとき、虹の橋を渡ってペットとまた再会できると考えたりするものです。
また、私たちはご先祖様を敬います。
亡くなった人はどこにいくのだろうか。
それはお釈迦さまがいる天国に行って、お釈迦さまのもとで私たちを見守っていると考えたりします。
そして、お盆には亡くなった人たちの魂がこの世に戻ってきて私たちは再び会うことができると考えたりもします。
そんなふうに死後の世界があると私たちはナチュラルに受け容れていたりもします。

一方で、私たちは死後の世界がないという思想にも触れることとなります。
「人生は一度きりしかない」
とよく言いますが、実はそれも一つの宗教的価値観に過ぎないものです。
本当に人生は一度きりなのでしょうか。
もし輪廻転生を信じるのであれば、
私たちの人生は何度もあるのであって、
今回の人生は何度もある人生のうちの一つにすぎないということになります。

要は、もし自分が宗教的価値観を持っているのであれば、それを素直に認めようということなのです。
私たちは、宗教的価値観を持っていながら、その価値観を否定しています。
そこに苦しみがあるように思うのです。
素直に自分の宗教的価値観を認めて、それに従って生きることができたならば、
私たちはもっと生きやすくなり、もっと素直に気楽に心やすらかに生きることができるように思うのです。

もちろん、無神論を否定してはおりません。
神はおらず、私たちの人生は一度きりであり、私たちが死ねばすべては無に帰すという考え方も認めます。
私が問題としているのは、いわゆる同調圧力によって無神論者に表向きなっているような人たちです。
本当は神仏を信じているのに、現代日本社会の同調圧力やいわゆる世間体を気にして、
表向き「無宗教者」を掲げているような人たちなのです。
そこに、現代日本人の苦しみがあるように思うのです。
自分の思想に素直になることができない。
自分の信仰に素直になることができない。
そこにこそ、現代日本人の苦しみの根源があると思うのです。

私はそんな苦しみから現代日本人を解放することができればと思いました。
それが『魂の戦友』を立ち上げる動機のひとつにもなりました。
自分の信仰に素直になろうよ。
自分の思想に素直になろうよ。
それが『魂の戦友』の出発点なのです。

『魂の戦友』の目標は、現代日本人の心の救済です。
あくまで対象は現代日本に住んでいる人々に向けられています。
もちろん外国人の方が仲間に入っていただくことは大変うれしく歓迎しますが、
それは結果の話であって、
今を生きる日本の人々の苦しむ心を救済したい
それが『魂の戦友』の究極的な目標です。

現代日本人は器用に宗教を渡り歩く人々でもあります。
正月には初詣として神社(神道)に行き、結婚式はキリスト教式の教会に行き、亡くなれば葬式は仏教式の葬式を執り行う。
お盆は仏教式の墓参りをし、クリスマスはキリスト教式にクリスマスを祝う。
最近はイースターを売り出そうとスーパー業界は頑張っている様子ですが、
イースターってそもそもイエス・キリストが復活したことを祝うキリスト教のお祭りでもあります。
私はそれでいいじゃないかと思っています。
それでいい。
それが現代日本人の素直な実体だから。
そんな現代日本人の正直な実体を認めて、その素朴とも言える宗教観を丸ごと肯定できたらと思うのです。
それによって、私たち日本人はもっともっと人生を前向きに生きていくことができるでしょう。
その先に幸せがあると信じています。

同人誌の件について続報

先月初めに本を出すという話を動画で予告しました。
その件についての続報をお伝えします。

来月11月24日に東京ビッグサイトで行われるコミティアに出場する方向で調整を進めていたところですが、
先日、正式にコミティアから通知があり、落選の通知がありました。
4500サークル募集のところ、5500近い応募があったそうで、
会場のレイアウトを調整するなどして入れるサークル数を増やしたそうですが、
それでもなお300サークルは抽選の結果落選になったそうで、
その中に私も入ったこととなります。

そんなこんなで、とても残念ではありますが、
来月のコミティアは抽選の結果落選となり、
参加はできないこととなってしまいました。
同人誌を出す計画については、いったん延期とさせていただきます。

なお、原稿の方は完成していまして、
約4万字、A5版にて80ページ程度の原稿は完成させることができました。

今回落選したことは誠に残念ですが、
これを一つの好機と考え、
原稿を練り直して、
また次の機会を作りまして、
皆さまにお披露目できたらと考えております。

楽しみにしてくださっていた方々には誠に申し訳ありません。
また改めて機会を設けまして、
もっとバージョンアップした本をご提供できたらと祈っています。

今後ともどうかよろしくお願いします。

なぜ生きるのか

私たちはなぜ生きるのでしょうか。
人生とは皮肉なもので、人生がうまくいっているときは誰もそんなことは考えないものです。
しかし、人生がうまくいかなくなると、途端に生きる意味が分からなくなり、
「なぜ生きるのか」
と考えてしまうのが人間です。
そして、生きる意味がないと哀しみ、
自殺しようとか、安楽死したいとか
考えてしまうのが人間の現実です。

では、私たちはなぜ生きるのでしょうか。

ファンタジーのライトノベルで、よく異世界に放り込まれて冒険するストーリーがあります。
日常世界を生きる少年少女が突如としてファンタジーな異世界に放り込まれて冒険する。
そんなストーリーはよくありますが、
私たちの人生もまたそんなところがあります。
突然この世に生まれて、訳も分からずこの世に生まれて、訳も分からずにただひたすらに生きる。
それは異世界に放り込まれた主人公のようなものでしょう。
私たちは望んで生まれたかどうかは分かりません。
前世の記憶はないのが普通です。
どうして生まれたかもわからない。
そして生きなければならない。
それが私たちが生きる理由が分からなくなる最大のポイントであるかもしれません。

ここで留意したいのは、

私たちは幸せになるために生きる

ということです。それは言いかえれば、
生きるために生きる
ということでもあるでしょう。

私たちは往々にして、
死ぬために生きていたり、
不幸になるために生きていたり、
するものです。
例えば過労死や過労自殺の問題。
私たちは生きるために仕事をしているのであって、
死ぬために仕事をしているはずではないものですが、
私たちは往々にして仕事で命を落とします。
命を落とさなくても、病気になって辞めることになったりします。
生きるために仕事をするはずなのに、健康的に生きるために仕事をするはずなのに、
私たちはまったく逆のことをしているのが現実です。
そして、私たちは不幸にならざるをえないと思ったりしている。
人生が幸せになれるはずがない、楽しいことがあるはずがない。
楽しい仕事があるか、と私たちは仕事を罵るわけですが、
そうやって私たちは不幸になるしかないと思い込んでいる。
もちろん人生とは苦しみであるかもしれませんが、
苦しみから脱することができずにただ苦しむしかないと思い込むのも
問題であるかもしれません。
そして、私たちは幸せのために生きているということを忘れてしまうのです。
それは現代日本社会では特に強い傾向であるかもしれません。

私たちは幸せになるためにいきている。
生まれたからには幸せになろう。
そして満足して死んでいこう。
それは当たり前のことであろうと思いますが、
私たちは往々にして忘れてしまいます。
そして、死にたい、自殺したいと
思っているのが現実だと思われます。

ふっと喜べる。
わっはっはと笑えなくても、
ふっと笑える。
そんな小さな喜びが大事だと思うのです。
私たちは往々にして、笑わねばならない、笑って過ごさねばならないと思いがちです。
そしてさらに苦しくなっているのが現実でもあろうかと思いますが、
私たちは自然に笑うことができます。
今はそんな気持ちになれなかったとしても、
いつか自然に笑うことができるような自分になれたらいいですね。
自然と笑える。
ふっと笑える。
それだけで私たちは今日を生きる意味を感じることができると思うのです。

私たちは幸せになるために生きている。
生まれたからには幸せになろう。
そして満足して死を迎えよう。
そんな人生の積み重ねが、私たちをより良い来世へといざなっていくように考えています。